「棋力が変わらない」≠「指し手が変わらない」

http://michsuzuki.hatenablog.com/entry/2014/03/16/025800
スズキオンライン「第三回電王戦第1局後に流れた第2局PV後半とその後の会見内容書き起こし」

川上会長
「棋力は一切変わらないものです」ということでしたので、その修正を特別に認めることとしました。

佐藤六段
指し手に変更がないと言っておきながら、明らかに変更されたもの、棋力も指し手も違うものを入れ替えて、その入れ替えたという形を作って、それから虚実織り交ぜた説明、また挑発的な提案などもありまして。」

「指し手に変更がない」と言うのは誰の口から出た言葉なのか。
とてもじゃないが、職業プログラマが口に出すとは思えません。
何故ならこの台詞は「自分のプログラムにバグ(自分が想定していない挙動)は1つも無い」と言い切っていることと同義だからです。
世界で最も自信過剰なプログラマを連れて来たとしても、こんな台詞は吐かないでしょう。
 
一方、棋力が変わらないという台詞は、かなりの確信を持って言うことができます。
コンピュータ将棋の世界はかなり煮詰まっていて、技術的変更が無いのにひょいひょい棋力が上がるような甘い世界ではないからです。
「開発者が意識していなかった部分の変更で棋力が大幅UP」なんてことになれば大発見ですよ。
 
結局、開発者は「棋力が変わらない」という常識的範囲までしか保証しなかったのに、誰かが勝手に「指し手が変わらない」に差し替えた。
と言うのが今回の流れじゃないでしょうかね。

やねうらお
開発者側からみたら、そんなに指し手の性質って変わるものなのかと。逆に驚きがあるんですよ、そこは。評価関数がまったく同じなのに、指し手が違うと別人に見える、微妙に見えるみたいなそんな話ってあるのかと。

実際PVの中のこの文面。
ちゃんと読むと分かるのですが、やねうらおさんは「指し手が違う」ことには驚いていない。
「指し手が違うと別人に見える」ことに驚いている。
つまり「指し手は変わって当たり前だ」という、プログラマとしては普通の主張を行なっていますね。