涼宮ハルヒの憂鬱

パチパチパチ。
非常に綺麗な形でアニメが終了しました。最後まで名作でした。
小説版と違い、アニメ版の"ハルヒ"は綺麗にまとまった存在として、14話完結に相応しいキャラクターとして作られていたという印象を強くうけました。
ライブアライブで行った活動で満足感を得られるアニメ版"ハルヒ"は、小説版より普通の女の子らしく、キャラとして正しかったと思います。
小説版は、完結させるわけにいかないので「満足してしまう"ハルヒ"」にできませんよね。
 
小説版は私の感性とはちょっと相容れなかったわけですが、アニメを見てから読み直すと感じるところが色々あります。
それが上の「アニメ版のハルヒは完結を目指したキャラ」であるなという感想に繋がるわけです。
アニメ第二期は無さそうだなと思いました。もし予定があるなら、ライブアライブは原作に忠実であるべきだったでしょう。
 
ところで、感性とあわないからといって、今最高のエンタメ作品をエンタメ製作者が放置するわけにはいきません。
せめて分析して、流用しなければ。
何故ハルヒがうけるのか。ヒット対象は中学〜高校生。あとはオタク男性らしいです。
読み手の感情移入先はキョンです。
私はこのキョンと、あまり共感性がもてません。なんでこいつこんなに消極的なの、と。
私の世代で流行っていたライトノベルといえば、文句無しにスレイヤーズでした。
ここで比較してみると、面白いのが…。
リナ・インバース ←→ ハルヒ
ガウリィ ←→ キョン
だということでしょうか。
両方要素は同じです。なのに決定的に感情移入先が違う。スレイヤーズを読むとき、ガウリィに感情移入して読む人はいないでしょう。
ここが世代差ですかね。
私は仮想の世界でくらい、他人を引っ張りまわしたり、好き勝手したりするべきだろと思います。
ですが今は仮想の世界でも、他人に引っ張りまわされたいと思うのでしょう。
可愛い女の子に引っ張りまわされて楽したい。
世の中にバーチャルハーレムが溢れてることからも、最近の趣向はこれであるように感じられます。
まぁ、なんというかいつもどおりの結論になりそうなのでここで打ち止め。
 
しかし、小説版ハルヒ
わけのわからない数式が出てきて「この謎を解かなければ」といった数ページ先では、もう登場人物が自動的に問題を解く。(おいおい、読み手が考えるタイミングはいつ?)
小説1冊の間「指令を受ける」「主人公達がそれを行う」をただただ意味もわからずひたすら繰り返すだけ。(RPGのおつかいイベント並)
といった、なんというか…自動的なお話が多いです。
自動的に進むラインが引かれた上で、萌えキャラがちょろちょろするだけです。
あかほりさとるの作品にだって、もっとまともなテーマや読み手への問いかけがあった気がするのですが…。
 
繰り返す日々ネタや、タイムワープ系のネタおもしろいよ!と反論されたことがあります。
悪いですが「ビューティフルドリーマー」ネタや「バックトゥーザヒューチャー」ネタが面白いのは当たり前です。
自動的に読み手側がおもしろおかしく補完し、勝手に納得してくれるからです。
(ある程度レベル以上の人が)これ系のネタをやって、つまらなくするほうが難しいです。
 
どうにも「涼宮ハルヒの憂鬱」(つまり第一巻)を、商業的な理由で無理矢理続けた感じがしてなりません。
例えるならデスノート第二部。
いや、続きが気になったという点を考えれば、デスノのほうが上でしょう。小説版ハルヒは新刊がまったく楽しみに思えないですから…。
 
あれ?ダラダラ書いてたらオチがまとまらなくなりました。
きちんとまとめたいところですが、どうせ身内しか読んでない日記なので書きっぱなしで。すまん。
 
*私は誰がどう批判しようと、あかほり氏を尊敬しています。業界の荒廃を早めたのは確かに氏によるところが大きいですが、市場がそれを望んでいた以上誰かが起こしたはずです。